私は16歳で宮大工の修業に入り、父のもとで技術を学びましたが、昭和45年に山形に戻ってからは、文化財建造物の保存修理や神社、寺院、民家建築にたずさわり、人と人との絆の重要さを身をもって経験いたしました。さらには人組みといわれる職人の団結を活かしながら、伝統建築の技能の継承にいささかなりとも貢献できたことは嬉しい限りです。 なかでも特に印象に残るものに、定義如来西方寺五重塔がございます。それは国宝大崎八幡宮の保存修理や西方寺本堂新築工事のような歴史的様式に基づく仕事と同様に、一生に一度巡りあえるかどうかの大仕事であり、宮大工冥利に尽きる建立に情熱を傾けました。六年の歳月をかけ、風土・環境に合った樹齢三百年になんなんとする青森ヒバに、建造物として新しい生命を吹き込み、宮大工の技倆を存分にふるいながら五重塔として甦らせた時の感激は、一生忘れる事ができません。 今後も、五重塔の建立に満足することなく、これまで培ってきた伝統的な木造建築技術の修練につとめ、すぐれた技術の継承をはかるため後進の指導育成に渾身の努力を傾注する覚悟でございます。 宮大工の数が年々減少しつつあるなかで、皆様方には相変わらざるご指導ご鞭撻を賜りまして、技能者の育成とともに後進への活路を開かせていただきたくご支援を重ねてお願い申し上げ、ごあいさつといたします。
六椹八幡神社 宮司 中館 義雄
代表責任役員 加藤 幸雄
志波彦神社 宮司 磯貝 洋一
鹽竈神社
別表神社 鳥海月山両所宮 新田 新司
鳥海月山両所宮御創建記念事業 奉賛会長 鹿野 道彦